2016年2月9日火曜日

一周回ってクライエント中心とは

*今気づいたが、前回の記事にコメントが。。しかし、ブログにコメントを返信できない。北海道の田宮先生すいません〜トラブル解決してコメントしますね〜

新年になり、いろいろ整理しています。毎年忙しくなっていますが、今年は前年以上に病院業務がプライベートを圧迫しており、自分の時間が全然取れません(とは言っても臨床が多いのですが。。。)。そんな中、昨日からカミさんと息子がインフルになり、お休みをいただいて彼女らをコホート隔離し、タミフル予防投与しながら、家事、育児、介護に励んでいます。
限られた時間の中で何をするのかを考え、Facebookなどあまり見ておりません。FBの発信は講演などのお礼、情報発信は原点に帰って、OTに関することをブログで行おうと思っています。

さて、先々週、先週と山梨県と埼玉県の県士会で長時間お話しさせていただきました。クライエント中心の作業療法に目覚めてもう13年ほどになろうとしていますが、一周回って、数年前からクライエント中心にも限界があると思うようになっています。13年中10年は臨床所属なので、結構クライエント中心の実践歴は長い方だと思いますし、結構それなりに一生懸命実践してきたつもりです。

クライエント中心が困難な場合
1.急性期でそれどころじゃないとき
ICUで意思疎通が取れず、医師より作業療法の指示が出ている場合。もちろん文脈を家族から聞いたとしても、生きるか死ぬかの場合はそれどころじゃないですよね。パターナリズムでもしようがない時ですし、家族もそれを望んでいたりします。
これはよく語られていると思います。

2.いわゆる私たちの対象者(クライエント)と明確な意思疎通が取れない(高次脳機能障害や認知症、意識障害など)時

これがあまり語られていないものですし、私自身よく質問を受けます。著名な先生に質問をされているところを何回か見受けたりもします。これまでの経験からの私見について書きます。

 対象者がそのような時には家族や他者をクライエントとして捉えると様々な書籍に書いてありますが、非常に疑問を感じます。なぜなら、臨床で働いている人なら分かるでしょうが、家族はいつも来るわけではない。なんなら、年に一回もこない方もいらっしゃいます。また、音信不通で対象者の方をよく知らないこともあります。そのような状況下でその方たちをクライエントとして捉える一方、OTはその対象者の方と毎日のように作業療法を展開するわけです。
 例えば、意思疎通取れない身寄りのない方が、入院時に役所の職員と一緒にいらっしゃった。COPMを役所の職員に取るって言っても。。家族関係が芳しくない方にCOPMをとって、それを実行しても。。と思います。

 そんな時にはパターナリズムでもいいんじゃないかな?って思います。川モデルのMichal Iwama先生も書かれているように日本は集産主義のところがあります。思慮深く相手を思いやる気持ちがあります。相手の気持ちを察するというものです。何も言わなくても気持ちの良いサービスがあるということも日本の良い文化の一つです。

 家族や周りの人、そして観察からクライエントがどういうことを好んでいるのか?を推察し、クライエントに最良と思われる作業療法を提供する。そっちの方がよっぽどいいサービスを提供できるのでは?って自分の経験からも思います。このことは今はもう廃盤になった?「ケア論の射程」という本の中で、良きパターナリズムとして紹介されていました。

これがクライエント中心だ!っていう方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそんなの作業療法士のエゴじゃないかなって思っちゃいます。

だって、クライエント(主として関わる対象者の方)は何も語っていないんですから。Thが良かれと思ってやっているお節介アプローチ?wですからね。TH中心って言葉の問題だけで、誰よりもクライエントを思っていたら結果はついてくるでしょう。言葉の問題だけで、本質が見えなくなるのは本末転倒だと思います。

エビデンスについてもTomoriさんが書いていますね。こちら

なお、そうは言っても私の基本はCL中心ですw。まあ、何事にも限界があるっていうのが私のモットーです。

長文失礼をいたしました。

研究解析したり、お弁当作ったり、いつもと違う朝は清々しいっす。せっかくの機会、家事もタスクも頑張りますw






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