2014年5月30日金曜日

大切な作業を実現するための手の練習は遅くても良いのではないか?

入院から手を引き、訪問からも手を引き、結局残ったところは外来ということで、最近は外来をやらせて頂いております。当院では短期集中型の商品を作りました。生活機能再建型上肢機能外来という一応ネーミングがありますが、多分自分以外知りません(笑)
新人スタッフは僕を手の人だと思ってるかもしれませんが、私は手のPTはやっていません。手のOTをやっています。それが必要な状況であるからやっているだけで、他の状況ではOBPonlyということもよくあります。

ところで、第1回臨床OT学会の学会長講演でも大切な作業を実現するための手の練習はアリ。という話をしました。
最近当院の状況を見つつ、上席の人達と話をするのですが、大切な作業を実現するための手の練習は入院中じゃなくてもいいのではないか?と思っています。もちろん、入院中に結果が出れば良いのですが、結果が出ない場合もたくさんあります。それはみなさんも経験しているのではないでしょうか?入院中にやるなということではなく、大切なことを支援してからでも遅くはないのでは?ということです。

私は、クライエントが望む作業の実現のために、入院中はもっとやらなくてはいけない優先順位が高いものがある場合が多い気がします。例えば、パーソナルなADLであったり、家族のための家事であったり、仕事であったり。。

それらは退院までに必要とされることであるかもしれないし、退院までに絶対やっておかなくてはならないこともあると思います。文脈をたどれば、その作業は絶対可能にならないといけない。ということはあると思います。そして、それは手を使わないとできないこともあるでしょうが、手を使わなくてもできることもあるでしょう。

手が良くならないと前に進めないということもあるでしょうが、僕らは専門職として手が良くなることを否定するのではなく、大切な作業の実現のためにどのようなステップを取ることが最も効果的なのかをクライエントに示してみる必要があると思います。

大切で可及的に介入しなくてはいけないものが何なのか、パートナーとして、時に灯台としてクライエントを明るく照らしてあげる必要があると思います。あくまで進むのはクライエントであり、私達は伴走者ですが。

OTは自分に技術がないから、もっと頑張らなくてはという気持ちがあるかもしれません。だからといって、大切な作業を支援しないままに終わってしまうと、OTには心にわだかまりが残りますが、クライエントの生活にはとんでもない支障が出ることもよくあります。自分のbestで何ができるのか?作業を支援すべきではないでしょうか?

大切な作業を実現するための手の練習は焦らなくても良い気がします。


2014年5月23日金曜日

normalとabnormalの架け橋

今週頭に浜名湖へ釣りに出かけたついでに、元職場におじゃましてきました。その際に、日頃より実践研究会や臨床OT学会でも大変お世話になっているお仲間の方々が運営に関わっているNPO法人えんしゅう生活支援netさんが運営するLa la Cafeさんへおじゃましてまいりました。このNPO法人さんは高次脳機能障害の方の就労などを支援されており、OTが中心となってされています。かねてからこの法人さんのことはよく存じ上げていましたが、実際の運営を一度も見学してなかったので、一度は来てみたいなあと思っていました。


中に入ってみると、普通におしゃれなんですね。理事の方々のセンスは存じ上げていましたので、さすがだなあと思いました。何が言いたいかというと、普通の店なんですよ。それで、特に高次脳機能障害を支援しているなんて文言が店に全くない。この後理事長さんと話をさせていただきましたが、昔は書いていたけど、なくしたそうです。そうする意味が無いということで。

店員さんの1人が私の教え子でもあるOTRでしたので、まあ彼女の言われるがまま、じゃあそれでって感じでカレーを頼みました。これがまた普通にうまい(笑)。野菜はシャキシャキ、エビはプリプリ。そしてスプーンもおしゃれ。


食べ終わって、店内を見回していると、いろんな店員さんが。よーく見ると、体がちょっと不自由な人や一生懸命掃除をされている方、一つ一つ報告をされている方、外で接客をされている方。皆さんが、自身の得意な分野などをされているんだろうなと思いつつ、一般の人達には多分気にしないだろうな。と思いました。これがまた良いと思います。



そうのこうのしていたら、すぐにケーキが。抹茶と小豆のケーキ。これ自家製かな?これがまたうまいのさー。私の好みです。このミントって自家栽培かね?


最後に、何かあやしい機械を見つけたので、聞いてみたら、理事の方の趣味で栽培して、今後店に出すようですよ。まあその理事の先生も存じ上げているので、あーやりそうやりそうって思いながら見てました(笑)。非常に環境と立場の使い方が上手いなあと思いました。しかし、利用者さんにはまだ秋があるようだということに驚愕しました。うちの近くにあれば頻繁に送るだろうに。。。

さて、総じて思ったことがabnormalとnormalの架け橋だな。と思いました。普通の世界(社会)に参加していく。ここにはもちろん機能訓練は存在しない。理事長が臨床OT学会の控室で、OBPonlyは福祉の世界ならできると言っていた理由がよくわかりました。
私は病院で働いています。病院の環境はあらゆる意味で社会の中でabnormalです。しかし、退院後に自宅に戻ってからはnormalの社会に適応することを求められます。私は、OBPができそうな病院として知られるところでずっとやってきていますが、結局abnormalの環境(病院)である限り、限界は必ずあります。そして、僕らの考え方自体もnormalではなく、abnormalになっていると思います。表現は悪いですけど、いつも当院のスタッフに話しているのはたかだか入院期間の残り1〜2ヶ月で就労支援が完結できるほど甘くはない。一般企業でも、病院でも五体満足の人が就職試験に落ちることは普通にあります。そのような時代に手足が動きづらい、高次脳機能障害を負ってしまった方を雇おうとする企業は当たり前に多くないのは自明の理です。だから、僕らはその困難さ、社会の壁の厚さを十二分に理解して、社会参加の支援をしなくてはならないと思います。

そのためには、こういうabnormalとnormalの架け橋となるような素晴らしい取り組みをしている機関を有効利用をすべきだと思います。就労支援をはじめとしたこのような支援が進まない理由は、医療職が社会資源を知らなさすぎるのが一番の功罪だと思います。特に私達OTは近隣の社会資源を熟知し、支援のバトンをつなぎ合わせることがクライエントを苦しめないための責務だと強く感じました。