2013年11月8日金曜日

私は作業療法のスペシャリストになりたい

食い過ぎで吐きそうです。決して、ノロに感染していません。
疥癬には感染したことがあります(笑)

40前男性に、夜10時台に背脂多いチャーシューメンに戦いを挑むと殺されかけます。気をつけて下さい。
さて、研究をと思ったんですが、日記をかなり更新していなかったなと思い、筆をとります。この前、週刊医学会新聞で、ジェネシャリスト宣言って言うのがあって、スペシャリストとジェネラリストの二元論を越えて、ジェネシャリストを提唱するっていうのを見ました。あ〜面白いなあ〜。って読みました。

今日は珍しくクライエントの話を書きます。多分過去初めてですね。

OTになりたての頃は、ハンドセラピィのスペシャリストになりたいと思っていました。

先輩や友人はそうなっています。

自分はそうなっていません。


若手の頃、認知症のスペシャリストになりたいと思いました。

後輩はそうなりました。

自分はそうなっていません。


中堅の頃、ボバースのスペシャリストになりたいと思いました。

先輩や後輩はそうなりました。

自分はそうなっていません。


OTになってしばらくして、作業療法の面接の重要性を知り始め、やり始めた頃、30前後のあるクライエントに会いました。初回面接で、家族皆、「肩を良くして欲しい」といいました。彼は、社会人になりたての頃、脳の病気になりました。急性期の病院で記憶障害があると言われ、身体機能も特に問題が見られなかったため、リハビリをして、そのまま退院しました。8年間、時間が経過し、肩の動きが悪くなり、急性期病院から私のところへいらっしゃいました。

約8年の歴史の中で、彼は3ヶ月で会社をクビになりました。その後、彼は近くのコンビニやビラ配りのバイト等を行いました。しかし、約3ヶ月でクビになるか、いじめで辞めました。面接の中で、語った言葉は「半径5キロ以内のコンビニは全て制覇しました」。。。

運転免許が更新できず、クビになったクライエントも経験しました。大学時代の後輩のPTと飲んでいる時に後輩の電話が鳴りました。仕事の電話でした。切ったあとに、彼が言った言葉は「片麻痺の担当患者さんが車を運転して事故して頸損になった」と青ざめて語りました。

先輩OTが生きる気力を失ったクライエントに対して、ちょっとしたデバイスやAssisstive technologyで作業が可能になり、人が変わったように笑顔を見せるようになったことも目の当たりにしました。

他職種の圧力に、クライエントの思いを代弁し、家族とクライエントの外出を可能にしたOTを見ました。最高の笑顔でした。

同期のOTがクラフトを利用することで、全く言葉を発しないほど表出も笑顔も無かったクライエントが、毎日ニコニコしながら色々な人と話すようになった人を見ました。別人のようでした。

認知症の方に馬鹿にされ続けているOTがいました。しかし、認知症のご本人は1日の中で一番楽しそうにしていました。馬鹿にされているOTも楽しそうでした。

全てのスペシャリストになるには人生短すぎる。
私はちょっと前から、作業療法のスペシャリストになりたいなあって思い続けています。



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