2013年11月16日土曜日

From Korea(고맙습니다 ゴマッスムニダ)

帰国してそのまま羽田空港で家族と再会し、夜まで遊びに付き合うという非常にハードなスケジュールを堪能?しました。

7年ぶりかな?位に海外に行かせて頂きました。行き先はKorea大韓民国です。
2013Korea Healthcare Congressという学会で、当院院長が「Client-centered and Community Based Rehabilitation」と銘打ちましてシンポジストをされることになり、私も少々お手伝いさせて頂いたご縁から、帯同させて頂くことになりました。


事務方よりホテルは当初、院長と相部屋という話で「ダブルですか?ツインですか?」なんて笑い話か?本気か?っていう会話をしていましたが(オイオイ。。。)、自分はトイレ長いし、朝早いし、「ぜってー嫌じゃあ!!!」と言ったら、なんとか別々になり、さらに、部屋が相手いないという理由でなんとexecutive roomでした!


現地では友人のスーパーOT夫妻とそのご友人のOTそして私と院長で食事会。彼女はtomoriさんのブログでも登場しましたが、大学院の同級生で、私が10年位前にAMPSを取得した時も隣り同士だったという縁の方です。私がローカルコーディネーターをさせて頂いた、OTIPM研修会でも飛び入りで通訳とかして頂いたり、英語、韓国語、日本語も堪能な素晴らしい能力の方です!事前から色々教えて頂くとともに、おいしい焼き肉andチヂミandマッコリを頂き、どれもこれもめちゃくちゃうまかった。やっぱり韓国の食べ物は最高です!

(院長熱く語っとります)

そして、韓国のOTの話を色々伺い、当院の院長はウチのOTがスタンダードだといつも思っていましたので、本当に良かったですし、院長も韓国を大好きになったようです!そこでの話は韓国ではPTとOTとの診療体系や診療報酬も違うようで、本当に苦労されている話や、精神科にOTがほとんどいないというか診療報酬が得られないと言った話も伺いました。僕らは、先人達に感謝しなければなりません。一方反省も必要ですが(都学会長講演参照)。

そんな中で、作業に焦点を当てよう!って頑張っていらっしゃる韓国のOTさん達本当に素敵でしたね。僕らより、作業に対する深い知識を持っていながら、逆風の中頑張っていらっしゃることに感動しました。その中で、日本臨床作業療法学会や作業療法臨床実践研究会の話も出ましたが、韓国でも立ち上げる予定があるそうです!!
いつか色々都合が合えば、コラボでもしたいですね〜。ほんと近い国ですし!なんて夢も抱きながら、異文化コミュニケーション(といっても全部日本語だけど 苦笑)を楽しみました。


学会では、院長の韓国語も現地の人達にちゃんとウケて、その後のレセプションでは韓国の建築家の方達や医師の方と仲良くなりました。韓国では、建築家やデザイナーが病院のデザインに関わったり、常勤でいたりすること。スタッフの仕事のしやすいデザインや癒しのデザイン、medical errorを減らすevidence-basedのデザインがあること、そして、1000床以上の病院が普通に多いこと、日本と違って診療報酬上マンパワーが少ないこと、病院によってはOTよりSTが多いこととか、本当に色々な話が新鮮でびっくりで、楽しかったです。色々お世話になった方本当にありがとうございました。

唯一の心残りは、病院見学ができなかったことです。病院を見たかったですね。私の夢の1つは世界のOTが何をやっているのか、この眼で確かめて、日本のOTとどう違うのか、私が目指す作業療法がどの程度されているのか?をみたいというものがありますので、その夢がまた膨らみました。


2013年11月8日金曜日

私は作業療法のスペシャリストになりたい

食い過ぎで吐きそうです。決して、ノロに感染していません。
疥癬には感染したことがあります(笑)

40前男性に、夜10時台に背脂多いチャーシューメンに戦いを挑むと殺されかけます。気をつけて下さい。
さて、研究をと思ったんですが、日記をかなり更新していなかったなと思い、筆をとります。この前、週刊医学会新聞で、ジェネシャリスト宣言って言うのがあって、スペシャリストとジェネラリストの二元論を越えて、ジェネシャリストを提唱するっていうのを見ました。あ〜面白いなあ〜。って読みました。

今日は珍しくクライエントの話を書きます。多分過去初めてですね。

OTになりたての頃は、ハンドセラピィのスペシャリストになりたいと思っていました。

先輩や友人はそうなっています。

自分はそうなっていません。


若手の頃、認知症のスペシャリストになりたいと思いました。

後輩はそうなりました。

自分はそうなっていません。


中堅の頃、ボバースのスペシャリストになりたいと思いました。

先輩や後輩はそうなりました。

自分はそうなっていません。


OTになってしばらくして、作業療法の面接の重要性を知り始め、やり始めた頃、30前後のあるクライエントに会いました。初回面接で、家族皆、「肩を良くして欲しい」といいました。彼は、社会人になりたての頃、脳の病気になりました。急性期の病院で記憶障害があると言われ、身体機能も特に問題が見られなかったため、リハビリをして、そのまま退院しました。8年間、時間が経過し、肩の動きが悪くなり、急性期病院から私のところへいらっしゃいました。

約8年の歴史の中で、彼は3ヶ月で会社をクビになりました。その後、彼は近くのコンビニやビラ配りのバイト等を行いました。しかし、約3ヶ月でクビになるか、いじめで辞めました。面接の中で、語った言葉は「半径5キロ以内のコンビニは全て制覇しました」。。。

運転免許が更新できず、クビになったクライエントも経験しました。大学時代の後輩のPTと飲んでいる時に後輩の電話が鳴りました。仕事の電話でした。切ったあとに、彼が言った言葉は「片麻痺の担当患者さんが車を運転して事故して頸損になった」と青ざめて語りました。

先輩OTが生きる気力を失ったクライエントに対して、ちょっとしたデバイスやAssisstive technologyで作業が可能になり、人が変わったように笑顔を見せるようになったことも目の当たりにしました。

他職種の圧力に、クライエントの思いを代弁し、家族とクライエントの外出を可能にしたOTを見ました。最高の笑顔でした。

同期のOTがクラフトを利用することで、全く言葉を発しないほど表出も笑顔も無かったクライエントが、毎日ニコニコしながら色々な人と話すようになった人を見ました。別人のようでした。

認知症の方に馬鹿にされ続けているOTがいました。しかし、認知症のご本人は1日の中で一番楽しそうにしていました。馬鹿にされているOTも楽しそうでした。

全てのスペシャリストになるには人生短すぎる。
私はちょっと前から、作業療法のスペシャリストになりたいなあって思い続けています。